真冬に坊主にしたので最近ニットCAPをかぶってます。野球をずっとやってきただけあってCAPを被るのは結構好きです。カナダ人曰く、熱は頭から抜けていくので、頭をしっかりCAPで覆うといいらしいです。
※イメージ画像
ところで、CAPって深い言葉ですよね。
capとは ?
主な意味
(縁なし)帽子、キャップ、(職業・階級などを示す)帽子、式帽、(学校などのスポーツの代表チーム特有の色などの)選手帽、ものの上にかぶせるキャップ状のもの、ふた、(瓶の)口金、(万年筆・カメラのレンズなどの)キャップ、(靴の)つま先
Weblio英和辞典より引用(http://ejje.weblio.jp/content/cap)
「帽子」が転じて「ものの上にかぶせるキャップ上のもの」そしてさらに、「限界を決める」って意味合いで使われたりもしちゃいます。ぶっちゃけ普段、帽子のことをCapなんて言ってなくて今回のタイトルのCAPは「限界、制限」のCAPです。
そういえば、なんだか最近横文字を話す癖が抜けなくて人と話すときにCap、Capって言ってる気がします。(うざいですね)
人生って(人生語るほど長くは生きてないですがw)CAPだらけですよね。
例えば、
高校野球において甲子園は"3年しか"挑戦できない。
"4年に一度しかない"ワールドカップ
"お金がある分しか"ものを買えない、食べれない
就活で言うなら、
"限られた時間の中で"自分にあった企業を探さなくちゃいけない。
"限られた情報の中で"自分にあった企業を探さなくちゃいけない。
(地方学生なら)"お金がないから"東京に行って選考を受けるのが大変。
とかとか、世の中CAPだらけです。
でもこのCAPがなかったらつまんないなと最近強く思っています。
何十回、何百回も「甲子園」があったら熱狂的な高校野球ファンは生まれないし、高校球児が毎日の練習でどうやったら"3年間の間で"うまくなるのかを真剣に考えることはないかもしれない。
やっぱりCAPがあるからこそ、そのCAPのなかで目標達成するために必死になるし、そのCAPをぶち壊すために頑張れるなと。
そのためには"CAP"が何なのかを適切に認識して、真っ向から立ち向かわなくちゃ始まらないんだなと、最近思っています。
自分自身の仕事で言うなら
「忙しくてこの仕事ができない」とか「できる人がいないから諦めよう」っていうのはただCAPがあることを漠然と認識しているただの思考停止状態。
「そもそも何が忙しいのか?」「じゃあどうやったら忙しい中でもできるようになるのか?」「どうやったら忙しくなくなるのか?」「なんでできる人がいないのか?」「動やったらできる人が増えるのか?」っていう具合に目の前に出来てしまった量的CAP、質的CAPを自分なりに的確に把握して、CAPの中での挑戦を楽しんでいる状態。
就活で言うなら、
「6月までに自分に合った企業見つけるなんて時間が短すぎて出来ない!」っていうのはただの思考停止。
「6月までに最高に面白いと思える企業をどうやったら見つけられるのか?」っていうのはCAPを認識して挑戦し楽しんでいる状態。
「学歴って就活でやっぱり影響するんですかね?」っていう質問をするのは実はタダの思考停止。
「学歴フィルタとかくそくらえ。どうやったら高学歴を出し抜けるんだろうか?」って言う考えはCAPを認識して挑戦し楽しんでいる状態。
「地方は距離的、情報的に格差があるから良い企業わからないんですよね」と言っているのは状況に対して不満をいっているだけの思考停止。
「地方の距離的、情報的な格差を埋めて面白い企業とであうには?情報量に勝る東京の学生を出し抜くには?」っていうのはCAPを認識して挑戦し楽しんでいる状態。
捉え方を変えればいいだけ。失敗は成功の母っていうけど、CAPは挑戦の母ですよ。
CAPがあるから挑戦できるし。楽しめる。無茶苦茶なCAPをほど自分が挑戦できる面白いフィールドになる。農業革命も、産業革命も飛行機もなんでもCAPが存在していたから起こったイノベーションのはず。自分でたくさんCAPを課して挑戦し続けていきます。
※地方の就活生は地方というCAPを超えるためにこちら参加してみてくださいね!
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